1960年 |
「鍵」でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。 南仏のジャン・コクトーを訪問。 カミュ原作『ペスト』の映画化を企画、後に原作問題で中止になる。
「女経 第二話・物を高く売りつける女」 「ぼんち」。
「おとうと」では、原作(幸田文『おとうと』)の大正時代の空気を色で表現すべく、撮影の宮川一夫や美術の下河原友雄ら多くのスタッフと研究を重ね、『銀残し』という特殊な現像処理手法を実現する。また、初めてキネマ旬報第一位になる。 |
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1961年 |
「おとうと」でカンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞を受賞。
パリでアラン・ロブ=グリエと会見。同氏の脚本で「涙なきフランス人」(「バラよさらば」を改題)の製作を準備するが、その後脚本の問題で製作中止。
「野火」でロカルノ国際映画祭最優秀長編劇映画賞を受賞。
市川崑、和田夏十の共著、『成城町271番地-ある映画作家のたわごと-』(白樺書房)を出版。
「黒い十人の女」。 |
『成城町271番地』
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1962年 |
「破戒」 「私は二歳」。 |
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1963年 |
「雪之丞変化」 「太平洋ひとりぼっち」。 |
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1964年 |
渋谷区南平台に新居を構える。
「ど根性物語 銭の踊り」制作中に、東京オリンピック記録映画の総監督の要請を受ける。「ど根性物語 銭の踊り」完成後、大映との専属契約を解消し、10月のオリンピック開催に向けて準備にとりかかる。
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1965年 |
3月、「東京オリンピック」が公開される。"芸術か記録か"の論議が巻き起こる。観客動員数、約千八百万人という日本映画空前の興行記録をつくる。カンヌ国際映画祭国際批評家賞受賞のほか、多数の賞を受賞。
「東京オリンピック」をめぐる騒動の疲れから、一時映画から離れる。
毎日放送の連続テレビドラマ「源氏物語」を演出。セットに書き割りを使い斬新な映像表現を試みる。
崑プロダクションを設立。独立プロ第一作として、アメリカのスチーブ・パーカー・プロとの合作映画「ヘイ・バディ(相棒)」の準備を開始。 |
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1966年 |
「源氏物語」が国際エミー賞フィクション部門1位となる。
初のテレビCM「ホワイト・ライオン」を演出。
ブリティッシュ・フィルム・インスティテュートが、ロンドンのナショナル・フィルム・シアターで「市川崑特集」を上映。 |
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1967年 |
イタリアのテレビで放送された人形劇(日本ではTBS系で放送)の人気キャラクター・トッポ・ジージョの映画「トッポ・ジージョのボタン戦争」を監督。
「ヘイ・バディー」がロケ地問題で製作中止。 |
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1968年 |
イタリア、オリベッティ社の美術記録映画「京」を監督。
東京宝塚劇場で演劇「弥次喜多・東海道中膝栗毛」を演出。
「青春 第50回全国高校野球選手権大会」
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1969年 |
東宝時代の先輩監督・黒澤明の呼びかけで、木下惠介、小林正樹らと「四騎(よんき)の会」を設立。テレビの普及に伴い、観客数が減り斜陽化する日本映画界に新風を吹き込むことを趣旨とした。「四騎の会」第一回作品として、四人の合作の「どら平太」を企画するが、議論百出で共同脚本がまとまらず、製作中止。
「京」が、ロンドン・フィルム・フェスティバルで特別賞を受賞。
「太陽のオリンピア MEXICO 1968」日本語版を監修。 |
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1970年 |
EXPO'70(アジアで初めて開催された国際博覧会。日本万国博覧会)で、8面マルチ映像の「日本と日本人」、フィルムと人形劇を合体させた連鎖劇「つる」 「バンパの活躍」を演出。 |
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1971年 |
大映京都撮影所で、連続テレビドラマ「木枯し紋次郎」の撮影に入る。撮影開始直後、大映が倒産し撮影所閉鎖の事態に見舞われるが、スタッフの尽力を得て撮影続行。
日本国有鉄道(現JR)のテレビCM、「ディスカバー・ジャパン」をはじめ、70〜80年代にかけて、数々のテレビCMを演出する。
「愛ふたたび」 |
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1972年 |
フジテレビ系列で放送された「木枯し紋次郎」がブームを引き起こす。和田夏十作詞の主題歌「だれかが風の中で」も流行する。
「四騎の会」ドラマシリーズの一作、「ただいま浪人」を演出。 |
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1973年 |
崑プロダクションと日本アート・シアター・ギルド(ATG)の提携で、初の独立プロ作品「股旅」を製作、監督。
長女・市川舞子が描いた「股旅」のポスターが、第一回カンヌ国際映画ポスターコンクールでグランプリを受賞。
各国の8人の映画監督によるミュンヘンオリンピック記録映画「時よとまれ 君は美しい」に参加。
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1975年 |
「吾輩は猫である」。 |
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1976年 |
「妻と女の間」(豊田四郎との共同監督)。
角川書店が自社書籍の映画製作にのぞんだ角川映画第一弾「犬神家の一族」が大ヒット。ボサボサ頭によれた袴の風来坊風情の石坂浩二扮する金田一耕助が活躍する「金田一シリーズ」は、製作を東宝がひきつぎ計五本つくられる。 |
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1977年 |
「悪魔の手毬唄」 「獄門島」。 |
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1978年 |
「女王蜂」。
手塚治の原作をアニメーションと実写をミックスさせて撮った「火の鳥」。 |
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1979年 |
「病院坂の首縊りの家」。 |
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