―― 先ほど話題に上った「太平洋ひとりぼっち」の石原裕次郎さんも、初めてですね。
ええ、裕次郎は市川さんと組みたかったんですよ。あの時、日活は反対しているんですよ、市川さんは日活の監督じゃないわけだから。
裕次郎に僕が初めて会った時にね…。その時は、脚本の夏十さん、監督、それから僕と裕次郎の家に行っていて、テレビが台風が来るとか言い出して、これは早く帰った方がいいと、お二人には帰ってもらった。僕だけ残っていて、裕次郎と奥さんと日活のプロデューサーと喋っていたんですよ。そのうち、すごい土砂降りになって帰れなくなって。朝まで話していて、面白かったですよ。あの時、裕次郎さんは、市川さんと組んで、まして、裕次郎の初めてのプロダクションでやるということで、それなりに苦労したんじゃないですかね。日活の裕次郎だったから。なんとなくね、自分を慕ってくれていたスタッフたちだとか、そういうのに気を使っていたんじゃないでしょうかね。
―― いい作品ですよね。市川監督としては、ちょっと悔いが残った作品のようですが…。
あれはやっぱりね、セットでやってないでしょ。だからね、自然現象とかいろいろな不可抗力のところが出てくるわけですよね。海が荒れてくるとかすると、思いもかけないような何かが起きたりして、抵抗出来ないですよ。で、追っかけるのは裕ちゃんだけなんだから。ハワイの沖の方の空から撮ったり、いろんなことをやっているわけでしょ。
あれはだけど、あの芝居はすごいですよ、映画として。で、ラストシーンなんかは、いかにも市川さんらしいですよ。風呂へ入って、すごい垢で。裕ちゃん、もう、くたびれてがっくりきててね。そしたら、堀江さん日本から電話ですよって。そりゃ、やっぱり市川さんらしい映画ですよ、あんなしめ方はしないですよね、普通は。成功してよかったですねみたいなね。市川さんと和田夏十さんのコンビらしい映画ですよ。あんなラストシーンはよう作らないですよ。「野火」やなんかでもそうですよね。他の人が撮ったら、ああはやらない。市川さんだから出来た映画ですよ。
―― 市川作品のラストシーンは独特ですね。
「おとうと」のラストも、いいですよねえ。
――「おとうと」は、久しぶりに和田夏十さん以外の脚本で撮った作品ですね。水木洋子さんの脚本を、市川監督と和田夏十さんが気に入って映画化したという…。トップシーンだけ、水木さんの了解を得て変えたそうですね。
水木さんもいい脚本家だから、あの脚本は、トップ以外は直してないですよね。あのとおり撮っていますよね。
ああいうのはやっぱり、市川さんは、お手本みたいに上手いですよね。それと、今でこそ伝説のあのシーン、リボンで姉さんと弟がお互いの手を繋いで、岸さんが寝ていて、引っ張られて。ああいうシーンのつくり方っていうのは出来ないですよね。発想する人はいても実現していないですよ、ああいう切り方ってのは。
―― やりたいと思っても、出来ない?
だから、ラストシーンだけ、ああいうふうにしたっていうんなら、あれだけれども、やっぱり、トップシーンから違うんですよ。市川作品の「おとうと」という、つくりかたが全然ちがうんですよ。
それと、やっぱり、ああいうつくりかたというのに、多大に影響しているのは、和田夏十さんという脚本家の構成力みたいなもの、それがやっぱり引っ張っていっているんだというね。「おとうと」は水木洋子さんの本ですけれども、ようするに、長年の市川、和田夏十コンビ。
市川さんと夏十さんは、自分達がやりたいことがあるわけですよね、それを、こう暖めている。それで、この映画をやらせろ、やらせろと言っていたんじゃ、どこも金出さないから、だからいいものをつくってベストテン入れたり、大ヒットさせたり、ベストテンよりも大ヒットさせなけりゃ、会社というのはね。そうすると、その次は、会社も嫌だって言えないじゃないですか。それで、普通だったら、「おとうと」でも、あそこでエンドマーク出すって言ったら、日本映画の会社だったら、言いますよ。なんだか、ぶつ切りみたいな終り方じゃないか、あそこで盛り上げてくれ、とか、泣かしてくれ、とか言うけど、だけど、そんなことは絶対やらない。そういう戦術を、お二人がチームを組んでやってきているわけですよね。それはやっぱり、才能がなければできないんですから、きついといえばきついですよ。