―― 市川×和田コンビのお話がでましたが、藤井さんが考える、市川作品の特徴は何でしょう?
この間ね、たまたま、出来たときに、いいなあと思った松竹の傑作を、テレビで放送していたんで観たんですよ。そしたらね、こんなにつまらない写真だったのか、と思ってね…。不思議なんですよ、なんでこれがよかったのかなぁって。悪いとは言わないけれど、感動するほど…。
市川さんのはね、そういうのがないんですよ。すごく評判になった映画で良かったのは、10年、20年経って見直してみて、それほど良くないじゃないか、ってのはない。
やっぱり、なんていうんですかね、脚本が全然違うんですよ。あの頃の脚本家が書いていたシナリオとね。レベルが高い、っていうのは、ちょっと違う言い方だけど、新しかったっていうか、それが、今でも通用するっていうかね。そういう脚本はあの当時なかったですよ。古い映画の枠に捕らわれていなかったのかも分かりません。
それで、和田夏十さんは、ずっと、若い時から脚本を書こうとは思っていなかったんでしょうから。
―― 脚本家になりたいと、いろいろなものを読んで勉強をしたのではなかった…。
そう。そうじゃなくて、だから、新しさみたいなのがね。そこへもってきて、市川崑っていうのがね、すごいテクニックを持っているから、映像感覚がすごい斬新でしょ。だから、それをうまーく、和田夏十さんという脚本家と一緒になって。そうでなけりゃ、こういう映画は出来てないですよ。
それは、ある部分は市川さんの、ある部分は和田夏十さんのアイデアかも分からないけれど、それを、上手く脚本の上でまとめていったのが和田夏十さんだろうし、演出でカバーしながらいいようにやったのが市川さんだろうし、二人掛かりできているんだから強いですよ。この当時の日本映画のタッチと全然違いますよね。二人の手になっているものは。
それを、じゃあ、和田夏十さんも、もっと他の人のを書いてあげれば良かったのに、と思うけれども、そうはいかないんですよね。だから、例えば、田中絹代さんに書いた「流転の王妃」なんてのは、あれはあれで面白いけれども、監督が違うし、「あれ、これは誰の脚本かしら」って思う人がいるかも分からない。まあ、原作もちょっと違いますしね、フィクションじゃなくて歴史的な実話ですから。それとやっぱり、いつもとちがうのは、監督が市川さんだと、例えば、こういうふうにやるだろうってのが分かっているわけです。だから、そういうところへポイントがきたりするけれども、それでは、田中絹代さんじゃないっていうか、田中さんは違うイメージなんじゃないかなっていうのはしょっちゅうありますよね。だけども、それじゃ、田中さんのイメージへ全部迎合して書くかっていうと、そうはいかないし、そんな馬鹿馬鹿しいことはやらないわけですよね。だから、そういうところが、市川さんの演出と、田中さんの演出と確然と違う訳ですね。どっちがいいかとか悪いかとかじゃなくて。
逆にもう、他の監督のは書きたくないっていうか、出来ないんじゃないでしょうかね。意欲が沸かないし、何やられるか分からないし。そういうのはありましたよ、他の監督がやったやつで。それは、合わない訳ですよ、シーンひとつとってみても。違う監督が発想して、こういうふうにして欲しいと言われると、それはプロだから、それに近づけるとかある程度だったらやるけれども、それがピターッといくわけにはいかないですよ。
―― 市川監督と和田夏十さんは、脚本を作っている時に、作中人物を通して、家庭や愛情に対する考え方の違いが露になって、のっぴきならない夫婦喧嘩になることもたびたびあった、と言っていますね。
だからやっぱり、お二人で作ったものは、どちらかが発想したものを気に入らない場合は、反論していって、それが最初の発想より良かった場合は、こっちでいこうということになっちゃうけれども、それができる脚本家というのはなかなかいない。
それで、和田さんが書いた脚本を、他の人が撮れば、必ず市川さんが撮ったような映画が出来るかっていったら、こりゃ出来ない。受け止め方のちがいですよ、どっちがいいとか悪いとかじゃなくてね。それをもっと拡げていけるような、あれが、その中に隠されているかも分からない。そこらは、ちょっと難しい…。