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『カメラマンに立候補』 五十畑幸勇page2 ―― どの組につくかは、選べたんですか。
ある程度は、希望が通った。木下さんの「スリランカの愛と別れ」、あれは、カメラマンは黒澤さんとやっている有名な中井朝一さん。俺は、そういう素晴らしい人にはどうしてもつきたいと思っていた。勉強したいんだよ、カメラマンでも監督でも、一流の人について。見て覚えないと、俺たちなんのあれもないもの。ほんとにね、経験ですよ。盗むっていうかね。 ―― 臨場感というのか、広さのある画ですよね。 そうでしょ、あんな振らないでね。それはね、こんな大きい円の中の、このくらい小さいところを使っている。大衆、300人欲しいっていうんだよ。で、150人くらいうまぁく捉えている。円から離れているから休んでいるかっていうとそうじゃない。この人たちも全部演技して欲しいと。映ってないけどやれって言うんだよ。溢れ出ているのが大好き、それで、フレームを行ったり来たりするのが大好き。出たり入ったり、「結構です」、なんだよ。この人もエキストラに講義する。「今日は、ただのエキストラではありません。役になり切って下さい。このシーンはこうですよ、こうですよ」って、15分、20分。そうすると、エキストラも乗ってくるんだよ。「しゃべってください。小さい声じゃなくて、どんな大きい声でもいいんですよ」って。だから主役の声が通らないと、録音技師の矢野口文雄さんが、加藤監督に聞いてもらう。加藤泰は、「OKです」って。まあ、すごい人だよ。 ―― 加藤泰監督の「日本侠花伝」は1973年、市川監督は、71年に「愛ふたたび」を東宝で撮ってますね。市川監督との出会いは…。 市川監督と出会ったのは、1976年「妻と女の間」。豊田組と市川組の2班あって、俺は市川監督についた。カメラマンは、豊田さんに岡崎宏三さん、市川さんに長谷川清さんで、長谷川さんのフォーカスマンについた。 ―― 初めて市川監督と仕事をして、どんな印象でした。
撮影は京都ロケから始まった。 ―― 市川監督も、五十畑さんのことを印象づけられたのでしょうね。
いや、「そんなこと、あったか」って、そんなもんですよ。 |
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